そうだ京都に行こう!!その4♪

2012/06/20 23:27

そうだ京都に行こう!!その4♪です

最終日にお世話になった方、寄せて頂いたところを書かせて頂きますあれから、もう1ヶ月以上経つのですねまだ、興奮冷めやらぬ!!!というところですが

最終日は、お昼までゆっくり休み、ホテルを出ました
司太夫さんが、お車を出して下さり、安珍・清姫伝説道成寺の鐘が奉られてる岩倉にある顕本法華宗・総本山妙満寺に寄せて頂きました。
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鐘のことを知った数ヵ月前から、京都に行くことがあったら、必ず寄せて頂きたいと思っておりました。道成寺の鐘そうです9月に風雅堂での名披露目で踊らせて頂く≪京鹿子娘道成寺≫の鐘に恨みは数々ござる~の唄い出しにもある、あの鐘です
司太夫さんからの前情報で、とても素敵な枯山水のお庭があることを伺っていたので、楽しみが2倍に

まず、受付にて拝観料をお支払いしていてビックリ
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我が会津若松市の室井市長からの感謝状が!騒いでいると、建立されたお坊様が会津出身という事が判明詳しくは後ほど

京都には『雪・月・花』の名のついたお庭があったそうです。清水寺本坊の「月の庭」、「花の庭」は現存せず、昭和43年に遷堂した際、石組みをそのままに移築し本坊の庭として復興された妙満寺の「雪の庭」。2つが残っているそうです。
飾ってあったお写真風に撮らせて頂きました
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そして、お庭を抜けると、いよいよ道成寺の鐘ガラスケース内撮影禁止としかなかったので撮らせて頂きました。
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『9月に踊らせて頂きます。清姫さんの純粋な恋、無念さを見て下さる方に伝わるように出来たらと…』なんて、お参りをさせて頂いていると、何か肩がずしっと重くなり、頭が痛くなるような感覚に…
以前、花柳貴代人おしょさんから伺った、清姫の恋がすごく純粋だったこと、まわりの言葉にも敏感に反応してしまうほど何も知らない娘さんで、やっと知った気持ちを踏みつぶされ、安珍にもまわりの人にも落胆し、とても悲しい気持ちになったことを思い出しました。きっと、この鐘にはいつまで経っても癒えない清姫の気持ちが残っているんでしょうね。
道成寺を演じる方が「芸道成就」をお参りするそうで、私も
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会津出身で妙満寺を創建した日什大正師(にちじゅうだいしょうし)は、1314年に今の会津若松市に父・石堂太郎覚知、母・清玉姫(蘆名四郎盛宗の子女)の間に武士の子として生まれたものの、15歳の時に両親を亡くし出家を志すようになり、19歳で比叡山に登り、名を玄妙と改められたそう。

で、ここでもうひとビックリしたことが!

58歳のとき故郷会津へ戻り、時の城主・蘆名直盛の願いを受けて住職となられた羽黒山東光寺は、神仏混淆の時代に今の東山温泉の羽黒山に修験の中心地でした。羽黒神社と東光寺があり、今では神社だけが残っているそうです。そして、私の住んでいる『院内』という地名ですが、羽黒神社と東光寺の境内地(院内)だった事から付けられたそうです!!
66歳の時に日蓮大聖人の教えに触れ、名を日什と改められました。
改宗をこころよく思わない人々によって会津を追われた日什大正師は、下総真間(現在の千葉県市川市)の弘法寺を訪ねて門下となると、中山・法華寺にこもり日蓮大聖人の教えを学び、69歳の時に堀川のほとり六条坊門室町に「妙塔山妙満寺」を創建され、78歳でお寺をお弟子さん達に任せ、会津に帰ってこられ、翌年にお亡くなりになられたそうです。
会津に戻られてから、お過ごしになられたのが会津若松市馬場町にある妙法寺さん今月はじめの芸妓振興友の会に来て下さった司太夫さんと、お参りさせて頂きました
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今年は京都、来年の5月には会津で、日什大正師のご生誕700年の法要が行われるそうです
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とっても、楽しく、充実した京都旅行の様子、届きましたか??
毎回長い4回の日記を読んで頂き、ありがとうございました

最後に、最終日チェックアウトを前にお化粧していたら…
大阪のお友達、愛しのくみえチャンからお電話が
なんと、くみえちゃんも前日、京都に遊びに来ていたらしく、それも先斗町にいたと
ホテルでちょこっと、お顔を見れただけだったけど、大阪と会津ではなかなか会えない!!!
嬉しかったです
奇跡続きの京都旅行でした

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